図書館案内

図書館沿革

内容
昭和37年  
4 加古川市に設置された仮校舎で仕事を始めたが,現地は田んぼの真ん中で,近くに誤楽設備らしいものもなかったので,学生用図書室の開設と充実が要望された。 しかし,当時の事務系職員の定員は12名で図書係はなく,図書関係の仕事は一応教務係で取り扱うことになったものの,教務係も係長1名だけということで, なかなか図書関係の仕事にまでは手が廻らない状況だった。開校当初は,図書の専門職員がいないからというので,教官研究用図書に重点をおいて購入を始めた。しかし,学生用図書も購入しないわけにはいかないので, 国語の稲垣助教授を中心に岩波文庫や世界文学全集などの教養書を購入して図書室を設置することにした。
9 1日,地元の古谷という婦人を臨時職員に採用して図書の整理と閲覧貸出をさせることで図書室の業務を開始したが,素人ばかりで図書に関する知識はなく,単に書物を書架に並べておいて,要求があれば取り出して渡し,返却されれば元の位置に戻すといった状況で,室内閲覧を原則とした。 そのうち,文部省の会計監査があるというので,図書の台帳を作らなければならなくなったが,素人では分類もできないので,とりあえず原簿番号だけを記入して整理した。すでに教官が持ち出している本があったりして一連番号が完全に入れられず,やむをえず持出冊数だけとばして次の番号を入れたところ,一つのケースに入って1冊と思っていた本が数冊の分冊になっていることが後でわかり,苦肉の策で枝番号をつけたりしたこともあった。
  年が明けて次の年度の入学試験の受付が行なわれた時には,事務室が手狭な関係から,たまたま図書室が入試関係事務室に転用されることになり,その間は臨時の措置として室外貸出に切りかえて急場をしのいだりした。また本校舎に移ってからの図書整理の仕事を考慮して,係員を地元採用の婦人から専門知識を学んだ人に切りかえることにし,若い有能な女性を紹介されたので,その人を本校舎移転後採用することにした。
昭和38年   昭和38年度から新しい本校舎に移転し,土木の谷本教授と国語の稲垣助教授とが初の図書委員に任命され再スタートをきったが,当初は新採用の武本係員を実務研修のため神戸大学に派遣していた関係から,本校には図書専任の職員が不在ということになり,仮校舎から移転されてきた図書が,梱包されたまま書庫に積み上げられているような状態が続いた。
5 前記武本係員が研修を終えて着任したが,購入および寄贈図書の分類と整理に追われ,なかなか図書室としての体裁を整えるまでには至らなかった。専門職員とはいえ経験の浅い新人が,相談相手もなく一人だけでする仕事であるから,努力しても思うようにはかどらず,そのうえ校長が図書に関しての知識に詳しく,しばしばお叱りを受けて泣かされたこともあったようである。
9 臨時職員の採用があって図書室にも1名が増員配置され,図書の分類整理と目録カードの作成に許す限りの時間をかけ,何とかして図書室の体裁を整えようと努力した。しかし,昭和38年度中は,閲覧室の東半分が臨時の製図室にあてられたため,図書室として使用できたのは西半分だけのうえ,製図室への通路にもなるようなことになって,落ち着かない状態が続いた。教務係の者も,専門的なことには手が出せないのでせめて素人でもできる目録カードの原紙切りの作業を図書室から持ち帰り,勤務時間外まで作業を行なった。学生の長期休暇と同時に図書室へ出向き,連日目録カードの印刷と取り組んで,閲覧机一杯にカードを並べて乾燥作業を行なったりした。この作業も和漢書が中心で,洋書にまでは手が届かなかった。しかし,当時のことを考えると,人手不足その他の事情で,仕事が滞りがちになったのもやむをえなかったのではないかと思われる。(以上,当時の教務係長・松宮裕氏-現在新居浜高専学生課長-その他の方々の回想を要約)
昭和39年 9 新しく図書係が設けられるとともに現係長が神戸大学から着任して,ようやく本格的な図書室の業務が開始された。とりあえず,兵庫県の国立高等専門学校設置期成会から寄贈されていた洋書をはじめ,数多くの未整理図書の分類整理にとりかかるとともに,それと平行して従前に引続いての図書目録カードの作成に全力を注いだ。
昭和40年   それまでの全面閉架式を一部開架式に改めることとし,閲覧室北側の窓下に木製辞書棚を配置して,すでに受入済みの辞書・事典・年鑑類に,新しく校長経費で購入した参考図書類を加えて開架排列し,図書室利用者の調査研究用の資料とした。また,この年から,各科代表の6名の図書委員で構成される現在の図書委員会が発足し,主として学生用教養図書購入の選定にあたることになった。
昭和41年   「新入生のための図書室利用案内」という謄写印刷物を作成して新入生に対するPR活動を始めるとともに,本校所蔵の雑誌目録の和文編および欧文編の二種類の印刷物を刊行して校内および全Gの各高専図書室に配布するなど対外活動も行なった。
昭和42年   それまで暫定的に適用していた「図書閲覧規則-案-」を改めて「図善室利用規程」を制定し,閲覧・貸出その他,図書室利用に関する基準規則を確立した。なお,この年度で特記すべき事項は村田校長の発意により,本格的な郷土資料の収集に着手したことである。兵庫県関係郷土資料の収集は,その後も引続き精力的に進められ現在に至っている。
昭和43年
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昭和45年
 
  蔵書の充実がはかられる一方,既存の施設・設備等をもってしてはもはや円滑な図書室運営に支障を生じはじめ,新図書館の建没が要望されてきた時期であった。昭和45年度文部省において新図書館の建設が認められたが,その頃には旧図書室の書庫や事務室は図書・物品で充満し,すでに図書室の機能は限界に近いような状況であった。やがて晩秋の頃,大阪工事事務所の手による待望の新築工事の槌音が校内に響き始めた。
昭和46年  
4 新図書館の建物が竣工したが,しばらくの間は建物内部の除湿を行なうこととし,その間に内部設備を整えるとともに,旧図書室の図書・物品の引越準備を行なった。
5 湿気のひどい閉架書庫を除いて旧図書室からの移転が完了。
6 新図書館が開館。
10 それまでに収集した「郷土関係資料目録」の第1集を印刷刊行して,関係諸機関や資料寄贈者に配布した。この目録発行のニュースは,ささやかな記事ではあるが神戸新聞の文化欄その他で紹介されたので,その後,県内外の研究者や研究機関のほか,アメリカのハーバード大学等からの問合せや資料の寄贈などがあり,郷土の資料をとおして地域社会との結び付きを深めようという当初の目的に一歩近ずくことができたといえよう。郷土資料の収集は今後も引続き行なわれ,目録の第2集以降も続刊されていく予定である。
11 旧書庫からの運搬をすませ,新図書館への移転がすべて終了した。